本当にありがとうございます!
皆さま、激励のコメントをくださって、本当に本当に心が震えました。
なんだかこうして勇気をもらうために、ブログをやっていたのかな、これがあるから、ブログをはじめろっていう運命?導き?だったのかなと思うほどでした。
こうしたコメントがあるとないとでは、自分にとってこれからに大きく違いがでたと思います。
自分の中のネガティブがあっても、皆さまはポジティブな応援や励ましをくださるので、それが真っ直ぐなのが助けられます。
そこでなんだか、自分のことをもう一度話してみたいと思いました。自分がブログでどのくらい自分のハナシをしていたのか、把握することは難しいです。自分は、文章は整理して付け足しや引き算をできるところが大好きです。会話と違って、自分にとって完成されたと思ってから人前に出すことができます。でも、会話のように、瞬時に聞きたいことを問うて、返すことは出来ないです。
見ていただいた記事の情報しか無いにも関わらず、そこからこんなに愛のある言葉をくれることに尊さを感じました。そして、改めて自分のことを話すのが、なんだか筋というか、一旦のお礼というか、そう考えたのです。
このブログってなんなんでしょうか?ゲイブログのつもりでしたが、就活ブログの要素のが多いですよね?
一方ではテンプラニンジャのブログとも言われる気がします笑
(今日就職祝いに友達がおごってくれたアイスと)
とりあえず文章を書き始めてみますが(そんな長くならないと思いますが)どこにフォーカスするかは書いてみないとわかりません。
まず、自分は生まれたところから転居したことがありません。ずっと生まれたところで過ごしています。
ゲイは、なんていうか先天性?wな気がしてます。途中、なにかのきっかけでなった ではなく、生まれた時からそうだったと思っています。
学生時代は女の子の友達ばかりでした。学内で辛い思いをしたっていうのは、そこまで多くないです。ただ、プリクラとか女子と撮っている時、他校の人にすごいなんか意地悪なこと言われた記憶は結構あります。なんか他校からの怖さみたいなのがなぜか結構強いな。
市内の学校が集まる音楽ホールのパイプオルガンの演奏会で、なぜかクリスマスの天使のオーナメントでカバンを飾って行ってしまい、死ぬほど後ろ指さされて帰ってから取ったの覚えてるw
でも、ゲイにしては、自分を解放できてた方かと思います。悟られないようにというよりは、話の合う女の子のところに行って、話したい話をたくさんしていました。
高校では男の子の友達を作ろうと思って意識しました。だから、中学までの頃ほど解放した気持ちは得られなかったけど、今でも連絡をとれる男友達はいます。でも、後にゲイでしたよぉと言えたのは一人だけだけど!
大学時代は、サークルになぜか入らず、、。なぜだったんだろうw
その分、ゼミの友達を大事にしてました。
四年間でできた友達で、ほんとに会えて良かったと思う人は2人くらいでした。←偉そうにすまん。
だから卒業してからすぐは、大学生活あんまり意味なかったなあと思ってたけど、今はそういう友達に2人も出会えたのだから上出来だと思うし、ゼミで学んだプレゼンの知識は、まだ活かせてないけど、良かったなと思えるようになりました。
そして、大学時代の就活は、氷河期と言われた頃で、やりたいことで探してたら決まらずにそのまま卒業することに、、、。
そういえば、その頃も働くことに臆病で、アルバイトすらしていない大学生でした。
たまーに派遣バイトしてたかな?
だから、派遣バイト=大丈夫って意識が今も強いのかな?笑
ちなみにバイトしてなかったから授業中寝ることも少なく、成績上位者で図書カードもらったり友達にノートを見せてあげる側でした。とか自慢きもい!働いてなかったくせにw
親のお金で暮らしていたのですね、、。
親との関係ですが、仲が良く、基本的には大好きです。
甘やかされて育った意識はすごくあります。
この間、不安症は親の過保護が原因ってネットに書いてあって、ギクっと思いました。
不安症はほんっっっとうに辛いけど、それでも親は好きです。
って、そりゃそうだ!それが本当の原因かもわからないのに、 それでも って言葉で繋げたのは失礼だったな。
結局卒業した年の夏、イベント企画会社に就職したのですが、1ヶ月で退職。責務も多く、泣きながら高速道路を野球の球ばりの速さで走っていたことに気付いた時、辞めようと思い辞めてしまいました。
その年の11月に、1番長く働いた会社に、まずアルバイトで入りました。
小売店?というのでしょうか。アパレル、食品とかではないのですが、、
なんかここをきちんと書かずにすみません。ここを書かないと分かりづらいのですが、、臆病なものですみません!個別に聞かれたらお教えできるんですが、そういう機能ってありましたっけ!?そこまで気にならない?すみません。
3ヶ月で運良くバイトから契約社員にしてもらい、まず、一年半販売スタッフをやった後、本社勤務と言われ行ってみたら倉庫勤務、これをまた一年半やりました。
倉庫勤務は、本当に悲しかったです。店舗勤務の時は笑顔接客を率先してやる係に選ばれていたのに、、。この時働きながら転職を試みたのですが、実績もなく、途中で疲れて、やめました。
また店舗で働きたい!という気持ちではなく、今度はホントに本社で働きたい!という気持ちがずっとありました。
それは、上司に伝える場面があれば毎度伝えました。
そして、ある時本社に空きができ、本当の本社勤務がかないました。
しかしながらそこも地獄のはじまり、、。
3人チームのうちの1人が、超ヒステリックな人物。
結局前任も、その人物が原因で辞めていたのでした。
それでも機嫌をとって、なんとか仲良くするように心がけました。時には、お金を使って機嫌を取りもしました。(ゲーセンでその人が好きなモンとってきたり)
それでも気分屋は気分屋です。昨日まで仲が良くても今日になったら、怒号をあげます。
そんな中、自分の健康診断にF判定みたいなものが出て、、、。
あ、伝え遅れました、心療内科で精神の薬を処方して貰ったのは、大学卒業後の就職するまでの期間だったと思います。
そこから、ずっと飲んでます。
あと、新宿二丁目とかに行き始めたのは、その会社に勤めた11月からです。なんか、働くことのご褒美に、世界を広げることを自分に許した覚えがあります。
話が逸れました。健康診断の結果は少なからずストレスもあったので、彼女と働くのは無理だと上司に伝えようと思いました。
その頃、ヒステリックな人物が、勤怠で不正をはたらいたりしていたので、自分に非がないと強く感じ、立ち向かおうと思いました。
しかし、結果は、自分が店舗に戻されることになったのです。
理由は、自分は店舗でもまだ活躍できるからとのこと。ヒステリックな人物は初めから本社採用だったのです。
これに納得がいかず、泣いて相談しました。もうアラサーです。
倉庫の頃からではあるのですが、新店・移転準備で出張行ったりして、それが誇りだったのに、店舗に行ったらまた埋もれると思ったのです正直wだから嫌でした。
それでも店舗に行ってみました。その4ヶ月後に辞めることになるのですが。
はじめのうちは、あまりにもキツイことを頼まれたので、本社で得たツテで文句を言ったりと、かなり曲がったことをしていました←
結局落ち着いたかなと思ったら繁忙期に突入し、、
今でも忘れないのですが、ある客にすごく嫌な態度を取られて、、
それでもレジは行列、顔に出してしまいそうなほどの怒りをこらえなければいけません。
そんなこと、得意分野だと思っていたのに、ツライ。バックルームに駆け込み、足で地面を何度も蹴りました。
なんか細かく書きすぎました。
そんなこんなで辞めてしまったのです。
辞めるときに相談した相手も良くなかったと思っていて、違う人に相談したら違う道だったと思います。
健康診断の結果がああじゃなかったら、それも違う道になっていたかも知れません。
あれから何日も過ぎたのに、まだ運命だったんだと納得できる日がこないこと、いつになったら許せるんだと考える日々がつらいのが正直なところです。
母は、 乗り越えられる試練しか与えられないんだって。 と、ここ5年くらいよく言います。ただ母が救われたフレーズなんだと思います。
いつ、なにに乗り越えられたと感じる日がくるのかな?もうどのくらい試練に直面しているのか、かんがえたくもないです。
自分にとって、ツライ気持ちが始まったのは、去年の9月に異動を命じられたときからかと思います。そうするともう9ヶ月か、、。
すみません。つらい時間を数えるなんて、なんてことしてしまっているのか。
せっかく暖かい言葉をかけていただいたのに!!!
まだ話はおわってなかったです、結局その仕事を辞めたあと、まだ根拠の無い活力があったので、1ヶ月で転職、その仕事を試用期間中に退職してしまったのでした。
募集要項とのギャップと、大きな危険が伴うことと、あまりにも環境が合わなかったことが要因でした。
それにしても、逃げるの早過ぎです。未来があまりにも怖く不安で、希望が見出せず、決意しました。
この時の原因をきちんと潰せる転職をしようとすればするほど、足がすくんで踏み出せない状況にありました。
そんな中のそぞろ歩きでも、見つけることが出来たのが今回のところでした。
不安がまた暴れるかも知れないのに、、。
でも、前回と内容が決定的に違うのと、このように文章を書く力も、ちょっぴり活かすことができそうなのが、今の希望です。
このような流れです!!
明日は何一つ予定もないので、少し夜更かしをして自分を振り返ってみました。
ついでに恋愛についても自己満足ですが書きます。
自分は去年の夏まで誰とも交際?をしたことがなかったのです。
彼氏とは去年の1月に知り合い、8月から付き合い始めました。
初めての彼氏ですが、オメデタイやつだと思われても仕方ないですが、この人と出会うのを待っていたんだなって思っています。
もちろん片思いはたくさん?してきました!笑
片思いに関しては詳しいと思います←
でも、今の彼氏に出会って、初めて愛を返してくれる人が現れた気がしました。
学力がどうとかしらないけど、きちんとした知性があって、そんな人が愛に応えてくれたので、付き合ってほしいと思い、こちらから気持ちを伝えました。
また母の話になりますが、自分は母に似ていると思います。母も、なんとプロポーズはほとんど母からみたいなカンジだったそうですw去年の夏、こっちから告白してなかったら、今頃うちらどうだったのかな?笑
とまあ、喋りたいだけしゃべって、まとまらなくてすみません。
でも、これをしたかった。自分を知ってもらいたかった。
こんなに長いから読むのも疲れてしまうと思いますが、、、。
仕事のところは、結構、自分視点というか客観性がない文になってしまってスミマセン。被害者ヅラ具合がすごいw
自分はこういうところが不器用です。
クセが強いなあなんて思っていたりします。でも、これを読んでくれるような人も、すごく良い意味で人間くささがあってあったかみがある人だと思っています。
なんかもっと、自分がこういう人だって知ってほしいという意識がぐんぐんきています。なんなんでしょう。
一旦今日は、ありがとうに添えて、自分のことをお伝えしました。
寝て起きたらどんな朝を迎えるのかわかりませんが、歯を磨いて寝ます。
そんな長くならないとか言ってこれ、、。お付き合いほんとうにありがとうございます。
まだ、頼りながら生きていきたいから、ありがとうございましたではなく、ありがとうございます と言ってしまいます。
おやすみなさい!